山羊の歌(一部)
- 中原中也
- 底本:「中原中也詩集」岩波文庫
- (平成二二年五月一二日(水) 午後五時〇分五秒 更新)
更くる夜
内海誓一郎に
毎晩々々、夜が更(ふ)けると、近所の湯屋の
水汲む音がきこえます。
流された残り湯が湯気となつて立ち、
昔ながらの真つ黒い武蔵野の夜です。
おつとり霧も立(たち)罩(こ)めて
その上に月が明るみます、
と、犬の遠吠がします。
その頃です、僕が囲(ゐ)炉(ろ)裏(り)の前で、
あえかな夢をみますのは。
随分……今では損はれてはゐるものの
今でもやさしい心があつて、
こんな晩ではそれが徐(しづ)かに呟きだすのを、
感謝にみちて聴きいるのです、
感謝にみちて聴きいるのです。