春と修羅(一部)
- 宮沢賢治
- 底本:ちくま文庫「宮沢賢治全集1」
- (平成二二年五月一二日(水) 午後一時三〇分四秒 更新)
永訣の朝
けふのうちに
とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ
みぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ
︵あめゆじゆとてちてけんじや︶
うすあかくいつそう陰(いん)惨(ざん)な雲から
みぞれはびちよびちよふつてくる
︵あめゆじゆとてちてけんじや︶
青い蓴(じゆ)菜(んさい)のもやうのついた
これらふたつのかけた陶(たう)椀(わん)に
おまへがたべるあめゆきをとらうとして
わたくしはまがつたてつぱうだまのやうに
このくらいみぞれのなかに飛びだした
︵あめゆじゆとてちてけんじや︶
蒼(さう)鉛(えん)いろの暗い雲から
みぞれはびちよびちよ沈んでくる
ああとし子
死ぬといふいまごろになつて
わたくしをいつしやうあかるくするために
こんなさつぱりした雪のひとわんを
おまへはわたくしにたのんだのだ
ありがたうわたくしのけなげないもうとよ
わたくしもまつすぐにすすんでいくから
︵あめゆじゆとてちてけんじや︶
はげしいはげしい熱やあへぎのあひだから
おまへはわたくしにたのんだのだ
銀河や太陽 気圏などとよばれたせかいの
そらからおちた雪のさいごのひとわんを……
……ふたきれのみかげせきざいに
みぞれはさびしくたまつてゐる
わたくしはそのうへにあぶなくたち
雪と水とのまつしろな二(にさ)相(うけ)系(い)をたもち
すきとほるつめたい雫にみちた
このつややかな松のえだから
わたくしのやさしいいもうとの
さいごのたべものをもらつていかう
わたしたちがいつしよにそだつてきたあひだ
みなれたちやわんのこの藍のもやうにも
もうけふおまへはわかれてしまふ
︵Ora Orade Shitori egumo︶
ほんたうにけふおまへはわかれてしまふ
あああのとざされた病室の
くらいびやうぶやかやのなかに
やさしくあをじろく燃えてゐる
わたくしのけなげないもうとよ
この雪はどこをえらばうにも
あんまりどこもまつしろなのだ
あんなおそろしいみだれたそらから
このうつくしい雪がきたのだ
︵うまれでくるたて
こんどはこたにわりやのごとばかりで
くるしまなあよにうまれてくる︶
おまへがたべるこのふたわんのゆきに
わたくしはいまこころからいのる
どうかこれが天上のアイスクリームになつて
おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに
わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ
︽一九二二、一一、二七︾