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春と修羅(一部)

  • 底本:ちくま文庫「宮沢賢治全集1」
  • (平成二二年五月一二日(水) 午後二時一分一二秒 更新)

第四梯形

   青い抱擁衝動や
   明るい雨の中のみたされない唇が
   きれいにそらに溶けてゆく
   日本の九月の気圏です
そらは霜の織物をつくり
かやの穂の満潮まんてう
     (三角山さんかくやまはひかりにかすれ)
あやしいそらのバリカンは
白い雲からおりて来て
早くも七つ森第一梯形ていけい
松と雑木ざふぎりおとし
   野原がうめばちさうや山羊の乳や
   沃度の匂で荒れて大へんかなしいとき
   汽車の進行ははやくなり
   ぬれた赤い崖や何かといつしよに
七つ森第二梯形の
新鮮な地被ちひが刈り払はれ
手帳のやうに青い卓状台地テーブルランド
まひるの夢をくすぼらし
ラテライトのひどい崖から
梯形第三のすさまじい羊歯や
こならやさるとりいばらが滑り
   (おお第一の紺青の寂寥)
縮れて雲はぎらぎら光り
とんぼは萱の花のやうに飛んでゐる
   (萱の穂は満潮
    萱の穂は満潮)
一本さびしく赤く燃える栗の木から
七つ森の第四伯林青べるりんせいスロープは
やまなしの匂の雲に起伏し
すこし日射しのくらむひまに
そらのバリカンがそれを刈る
    (腐植土のみちと天の石墨)
夜風太郎の配下と子孫とは
大きな帽子を風にうねらせ
落葉松のせはしい足なみを
しきりに馬を急がせるうちに
早くも第六梯形の暗いリパライトは
ハツクニーのやうに刈られてしまひ
ななめに琥珀のも射して
  《たうとうぼくは一つ勘定をまちがへた
   第四か第五かをうまくそらからごまかされた》
どうして決して そんなことはない
いまきらめきだすその真鍮の畑の一片から
明暗交錯のむかふにひそむものは
まさしく第七梯形の
雲に浮んだその最後のものだ
緑青を吐く松のむさくるしさと
ちぢれて悼む 雲の羊毛
    (三角さんかくやまはひかりにかすれ)

(一九二三、九、三〇)
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