生と歌
古へにあつて、人が先づ最初に表現したかつたものは自分自身の叫びであつたに相違ない。その叫びの動機が野山から来ようと隣人から来ようと、其の他意識されないものから来ようと、一たびそれが自分自身の中で起つた時に、切実であつたに違ひない。蓋し、その時に人は、「あゝ!」と呼ぶにとゞまつたことであらう。
然るに、「あゝ!」と表現するかはりに「あゝ!」と呼ばしめた当の対象を記録しようとしたと想はれる。恐らく、これが叙事芸術の抒情芸術に先立つて発達した所以である。仮りに抒情芸術が先だつたといふ歴史上の論証があがつたとしても、近代に至るまで、抒情芸術と称ばれてゐるものゝすべては叙事による抒情、つまり抒情慾が比較的叙事慾よりも強かつたといふに過ぎない。
然るにかゝる態度によつて表現がなさるゝ場合、表現物はそれの作される過程の中に、根本的に無理を持つと考へられる。何となれば、「あゝ!」なる叫びと、さう叫ばしめた当の対象とは、直ちに一致してゐると甚だ言ひ難いからである。「見ることを見ること」が不可能な限り、自己の叫びの当の対象を、これと指示することは出来ない。たゞそれが可能に見えるのは、かの記憶、或は経験によつてゞある。
かくて、表現は、経験によつて、叫びの当の対象と見ゆるものを、より叫びに似るやうに描いたのである。かゝる時生活は表現(芸術)と別れ勝ちになるのだつた。言換れば叫びは無論生活で、その生活に近似せしめる習練――
「見ることを見ること」が不可能な限り、自分の叫びの当の対象をこれだと指示することが出来ない時、さしあたつて表現を可能にするものが、かの夢想的過程にあると見られる。トンポエムが作られた所以である。
然るに夢想的過程なるものは、表出されたとして人生的位置を、即ち meaning を持たない、つまりソナタにならないのだ。トンポエムは必竟表象の羅列である。その羅列が如何に万全を期してゐる際にもなほ、心的快感を喚起するまでゞある。尤も、純粋にエステティクに言つて、デスクリプションよりも進んだものとは言へる。
然るに、事実歌ふ場合に、人は全然トンポエムにもなれない、又全然デスクリプションにもなれない。この時イージーゴーイングな方面で一番好都合なのは、言つてみればその歌の動機を説明しては、トンポエムすることなのである。かゝる時テーマ楽曲が存在した。
此処に芸術は一頓挫した。やがて近代の諸主義が生れるのであるが、要するにそれ等の数々は、要するに根柢に於て一括されるかと思ふ。即ち、それは叫びとそれの当の対象との関係を認識しようとしたことであつた。そこで近代の作品は、私には、歌はうとしてはゐないで、寧ろ歌ふには如何すべきかを言つてゐるやうに見える。歌ではなく歌の原理だ。かくて近代の作品は外的である。叫びとそれの当の対象との関係がより細かに知られるに従つて益々外的となる。叫び(生活)そのものは遮断されたまゝになつて、叫びの表現方法が向上して行くのであるから、外的になる筈である。まるで科学の役目を芸術が引受けたかのやうだ。
表現方法を考慮しては、自分で自分の個性的な情緒とみえるもの、即ち自分の抽象情緒を組立てることが近代的諸作家のやつたことなのである。セザール・フランクが、或はスクリャビンがやつたあの旋廻は、蓋し彼等の抽象情緒の周囲を旋廻したのである。
つまり近代は、表現方法の考究を生命自体だと何時の間にか思込んだことである。
(近代は生活を失つた! 偶然にも貧民階級の上にだけ生活があつた!
批評が盛んになる時に、作品は衰へる、とは嘗つてゲエテの言つたことだつけ。げにほんとであることよ!――尤も、批評は盛んになるがよい、而して生活はなほ盛んになれば好いのだが、とかく批評の盛んな時に、生活は衰へ勝ちなことではある。
今や世は愛も誠実もあつたものでない。厚化粧の亡霊等は苟安の中に百鬼夜行する。ディレッタント達が一番壮大とみえ、真面目に何かをやつてゐる者は驢馬なのである。おまけに熾んな社交意識が伴つて、如何に虚栄を演ずるかといふことの中に人格の価値があるかの如く思ひ做される、さういつた風潮は日々に激しい。それは恰度芸術にあつて、表現方法をばかり問題にされることの生活的方面での現れである。)
力なきものは自ら萎む。漸くにして彼等も倦怠を覚えてゐる。――然らば如何にすべきか?――彼等は迷つてゐる。そして世界中が迷つてゐる。やがてその中から低い声が一つした。観念論に行けと。――その声にともかくも好感を懐いた人達の或者は、感傷的な道徳家となり、他の或者は批評主義派になつてしまつた。
それ等さへまた倦怠に入りつゝある昨今、芸術界が経済学だの歴史だのといふことを気にしはじめてゐることは、随分ありさうなことで、そして同情さるべき事情である。
この情態が面白からぬことを気付く頃に現れる次の現象は、凡そ私に分る所を以てすれば、心理的に病弊を究明しはじめることであらう。
然し、それら後から後から案出される踠きの種々は、結局失敗に終るだらう。
これらの失敗の原因が何であるか、それを確言することは困難であるが、辛じて私に言へることは、世界が忘念の善性を失つたといふこと、つまり快活の徳を忘れたといふことである。換言すれば、世界は行為を滅却したのだ。認識が、批評が熾んになつたために、人は知らぬ間に行為を規定することばかりをしだしたのだ。――考へなければならぬ、だが考へられたことは忘れなければならぬ。
直覚と、行為とが世界を新しくする。そしてそれは、希望と嘆息の間を上下する魂の或る能力、その能力にのみ関つてゐる。
認識ではない、認識し得る能力が問題なんだ。その能力を拡充するものは希望なんだ。
希望しよう、係累を軽んじよう、寧ろ一切を棄てよう! 愚痴つぽい観察が不可ないんだ。
規定慾――潔癖が不可ないんだ。
行へよ! その中に全てがある。その中に芸術上の諸形式を超えて、生命の叫びを歌ふ能力がある。
多分、バッハ頃から段々人類は大脳ばかりをでかくしだしたのだ。その偏倚は、今や極点に達してゐる。それを心臓の方へ導かうとする、つまりより流動的にしようとして、十九世紀末葉は「暗示」といふ言葉を新しく発見したのだつたが、それはやがて皮膚感覚ばかりの、現に見る文明と堕してしまつた。
今や世界は目的がない。そして目的がない時に来る当然のことゝとして、心そのものよりも、その心が如何見られるかといふことに念を置いて生きてる者等ばかりとなつた。人々は皆卑屈になつてもう卑屈が卑屈とみえないで、寧ろ思慮あることのやうに考へられるといふふうにまでなつてゐる。尤も現在の我が国では、その卑屈を思慮あることのやうに考へる人さへ、僅少なのであつて、他の人達は考へるといふことそのことをだにしないのである。それでゐてその人達が物を言ふ。何を言ふかといふと形容詞的な余りに形容詞的なことか、それとも学問的な余りに学問的なことなのである。而もそれらを極めて不誠実に、生活的意義から全く離れて。又、偶々生活的意義といふ言葉を気付いた人がゐると、その人は生活のことを生活的意義を離れて話してゐたりするのである。
総じて陰気くさくつて而もバラ/\だ。悪賢い小商人がいちばん活々して生きてゐるといふ有様だ。
こんな中では私は、無鉄砲少女が好きなんです。
或る一つの内容を盛るに最も適はしい唯一形式は、探し得られる。けれども、内容といふものは絶えず流動してゐる。そこで形式論はすべて無益となる。――余りに実利的な一般人が、形式論(原理)と実地とを直接連つたものと考へたがる。それが不可ない、たゞ実地に対する賢い良心は「形式論」の闡明を希ふものであるから形式論は、考へられなければならない。
だが、そんな理窟は誰でも分る。分つてゐてなほ分つてゐないと同様な態度で生きてゐなければならないかゞ分らなければならない――それは人が卑屈になるからだ、必要以上に陰気になるからだ。といふのは形式に呑まれるからなのだ、つまり根性が、なんだか外に理想がありさうに思ひ出すからだ。オーソドックスになるからだ。概念的になるからだ。生命に座標軸を課すからだ。つまり甘えて物を考へるからだ。不真面目になつてるからだ。蓋し、物質のキラビヤカさが人々の卑しさを刺戟するので、卑屈になつたからなのだ。疑惑を抱いたからだ。
序でに言ふが、物質文明にいちばん卑さを刺戟された奴が、すつかり物質の中に逃げて行つて、その中でばかり生きてゐるために卑しいと一寸見做しがたくなつてゐる奴が珍しくない。かういふ奴が多数をなした時に、卑屈が卑屈と見えなくなつたりしてゐるのだ。
「歓べ!」と誰かゞ言つた。そのとほりだ。
歓べなくなるや人は深淵に面する。そして「深淵はまた人を見返す」といふニイチェの言葉どほりになつてしまふのだ。現在殆んどすべての人はさうなつてしまつた。偶々快活で、自分の仕事を尊敬することを知つてゐる者がゐると、ヘンな所でイヂメられたりする。
私は最初音楽上の技巧について言つたから、そのことでも結論をして置くが、――要するに、すべてその物自体でなくそれを表現することゝかなんだとか、副次的なことでの困難は、何時も生命に座標軸を課することから起るのだ。つまり「みることをみようとする」態度から起るのだ。実はたゞ行りさへすれば好いのに、その効果を知ることを急ぐことから起るのだ。
だから私は繰返していふ、座標軸を、概念を、偶像を、他人の眼を忘れよ!――このことがよく了解された時に、ベートーベンの、ドビュッシイの、フランクの、スクリャビンの、その各々の欠陥を点検する長々しい言葉は無用となる。
忘れよ! 忘れよ! 自展的観念が誘起する記憶以外の記憶は、たゞ雑念に過ぎないものだ。
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【青空文庫作成ファイル情報】
底本:「新編中原中也全集 第四巻 評論・小説」角川書店
2003(平成15)年11月25日初版発行
初出:「スルヤ」
1928(昭和3)年10月21日号
入力:村松洋一
校正:小林繁雄
2009年5月5日作成