鎌倉時代の石仏です。すぐ脇から水がわき出しています。
鎌倉時代、赤門と呼ばれた浄瑠璃寺南大門がこのあたりにありました。そのそばにあった地蔵堂に祀られていたのがこのお地蔵様です。康永二年(1343年)、この南大門から火災が起こり、浄瑠璃寺の多くの建物が焼け落ちてしまいます。このとき地蔵堂も焼け落ち、焼け仏となったまま放置されてきたのかもしれません。
江戸時代初期の剣客、荒木又右衛門がここで休み水を飲み、それから水呑み地蔵と呼ばれるようになった、とも伝えられています。
今も水呑み地蔵すぐそばから水が涌き出ています。草をかき分けると、誰かが水を汲み取りやすくしてくださっているのをみつけることができます。
真南を向いたお地蔵様。今は廃道のようになっていますが、かつては奈良の般若寺あたりから浄瑠璃寺を経て笠置へ向かう古道がありました。このあたりが奈良から入ったときの正門だったんですね。