春と修羅(一部)
- 宮沢賢治
- 底本:ちくま文庫「宮沢賢治全集1」
- (平成二二年五月一二日(水) 午後一時二二分九秒 更新)
序
わたくしといふ現象は仮定された有機交流電燈のひとつの青い照明です︵あらゆる透明な幽霊の複合体︶風景やみんなといつしよにせはしくせはしく明滅しながらいかにもたしかにともりつづける因果交流電燈のひとつの青い照明です︵ひかりはたもち その電燈は失はれ︶これらは二十二箇月の過去とかんずる方角から紙と鉱質インクをつらね︵すべてわたくしと明滅し みんなが同時に感ずるもの︶ここまでたもちつゞけられたかげとひかりのひとくさりづつそのとほりの心象スケツチですこれらについて人や銀河や修羅や海胆は宇宙塵をたべ または空気や塩水を呼吸しながらそれぞれ新鮮な本体論もかんがへませうがそれらも畢竟こゝろのひとつの風物ですたゞたしかに記録されたこれらのけしきは記録されたそのとほりのこのけしきでそれが虚無ならば虚無自身がこのとほりである程度まではみんなに共通いたします︵すべてがわたくしの中のみんなであるやうに みんなのおのおののなかのすべてですから︶けれどもこれら新生代沖積世の巨大に明るい時間の集積のなかで正しくうつされた筈のこれらのことばがわづかその一点にも均しい明暗のうちに ︵あるいは修羅の十億年︶すでにはやくもその組立や質を変じしかもわたくしも印刷者もそれを変らないとして感ずることは傾向としてはあり得ますけだしわれわれがわれわれの感官や風景や人物をかんずるやうにそしてたゞ共通に感ずるだけであるやうに記録や歴史 あるいは地史といふものもそれのいろいろの論デー料タといつしよに︵因果の時空的制約のもとに︶われわれがかんじてゐるのに過ぎませんおそらくこれから二千年もたつたころはそれ相当のちがつた地質学が流用され相当した証拠もまた次次過去から現出しみんなは二千年ぐらゐ前には青ぞらいつぱいの無色な孔雀が居たとおもひ新進の大学士たちは気圏のいちばんの上層きらびやかな氷窒素のあたりからすてきな化石を発掘したりあるいは白堊紀砂岩の層面に透明な人類の巨大な足跡を発見するかもしれませんすべてこれらの命題は心象や時間それ自身の性質として第四次延長のなかで主張されます大正十三年一月廿日宮沢賢治