風の又三郎
- 宮沢賢治
- 底本:岩波文庫『童話集 風の又三郎』
- (平成二二年五月一二日(水) 午後〇時三九分三八秒 更新)
︵四︶
次の日は朝のうちは雨でしたが、二時間目からだんだん明るくなって三時間目の終わりの十分休みにはとうとうすっかりやみ、あちこちに削ったような青ぞらもできて、その下をまっ白なうろこ雲がどんどん東へ走り、山の萱かやからも栗の木からも残りの雲が湯げのように立ちました。﹁下がったら葡えび萄づ蔓るとりに行がないが。﹂耕助が嘉助にそっと言いました。﹁行ぐ行ぐ。三郎も行がないが。﹂嘉助がさそいました。耕助は、﹁わあい、あそご三郎さ教えるやないぢゃ。﹂と言いましたが三郎は知らないで、﹁行くよ。ぼくは北海道でもとったぞ。ぼくのおかあさんは樽たるへ二っつ漬つけたよ。﹂と言いました。﹁葡ぶど萄うとりにおらも連れでがないが。﹂二年生の承しょ吉うきちも言いました。﹁わがないぢゃ。うなどさ教えるやないぢゃ。おら去年な新しいどご見つけだぢゃ。﹂ みんなは学校の済むのが待ち遠しかったのでした。五時間目が終わると、一郎と嘉助と佐太郎と耕助と悦治と三郎と六人で学校から上流のほうへ登って行きました。少し行くと一けんの藁わらやねの家があって、その前に小さなたばこ畑がありました。たばこの木はもう下のほうの葉をつんであるので、その青い茎が林のようにきれいにならんでいかにもおもしろそうでした。 すると三郎はいきなり、﹁なんだい、この葉は。﹂と言いながら葉を一枚むしって一郎に見せました。すると一郎はびっくりして、﹁わあ、又三郎、たばごの葉とるづど専売局にうんとしかられるぞ。わあ、又三郎何してとった。﹂と少し顔いろを悪くして言いました。みんなも口々に言いました。﹁わあい。専売局であ、この葉一枚ずつ数えで帳面さつけでるだ。おら知らないぞ。﹂﹁おらも知らないぞ。﹂﹁おらも知らないぞ。﹂みんな口をそろえてはやしました。 すると三郎は顔をまっ赤かにして、しばらくそれを振り回して何か言おうと考えていましたが、﹁おら知らないでとったんだい。﹂とおこったように言いました。 みんなはこわそうに、だれか見ていないかというように向こうの家を見ました。たばこばたけからもうもうとあがる湯げの向こうで、その家はしいんとしてだれもいたようではありませんでした。﹁あの家一年生の小こす助けの家だぢゃい。﹂嘉助が少しなだめるように言いました。ところが耕助ははじめからじぶんの見つけた葡ぶど萄うや藪ぶへ、三郎だのみんなあんまり来ておもしろくなかったもんですから、意地悪くもいちど三郎に言いました。﹁わあ、三郎なんぼ知らないたってわがないんだぢゃ。わあい、三郎もどのとおりにしてまゆんだであ。﹂ 三郎は困ったようにしてまたしばらくだまっていましたが、﹁そんなら、おいらここへ置いてくからいいや。﹂と言いながらさっきの木の根もとへそっとその葉を置きました。すると一郎は、﹁早くあべ。﹂と言って先にたってあるきだしましたのでみんなもついて行きましたが、耕助だけはまだ残って﹁ほう、おら知らないぞ。ありゃ、又三郎の置いた葉、あすごにあるぢゃい。﹂なんて言っているのでしたが、みんながどんどん歩きだしたので耕助もやっとついて来ました。 みんなは萱かやの間の小さなみちを山のほうへ少しのぼりますと、その南側に向いたくぼみに栗くりの木があちこち立って、下には葡萄がもくもくした大きな藪やぶになっていました。﹁こごおれ見っつけだのだがらみんなあんまりとるやないぞ。﹂耕助が言いました。 すると三郎は、﹁おいら栗のほうをとるんだい。﹂といって石を拾って一つの枝へ投げました。青いいがが一つ落ちました。 三郎はそれを棒きれでむいて、まだ白い栗を二つとりました。みんなは葡ぶど萄うのほうへ一生けん命でした。 そのうち耕助がも一つの藪やぶへ行こうと一本の栗くりの木の下を通りますと、いきなり上からしずくが一ぺんにざっと落ちてきましたので、耕助は肩からせなかから水へはいったようになりました。耕助はおどろいて口をあいて上を見ましたら、いつか木の上に三郎がのぼっていて、なんだか少しわらいながらじぶんも袖そでぐちで顔をふいていたのです。﹁わあい、又三郎何する。﹂耕助はうらめしそうに木を見あげました。﹁風が吹いたんだい。﹂三郎は上でくつくつわらいながら言いました。 耕助は木の下をはなれてまた別の藪で葡萄をとりはじめました。もう耕助はじぶんでも持てないくらいあちこちへためていて、口も紫いろになってまるで大きく見えました。﹁さあ、このくらい持って戻らないが。﹂一郎が言いました。﹁おら、もっと取ってぐぢゃ。﹂耕助が言いました。 そのとき耕助はまた頭からつめたいしずくをざあっとかぶりました。耕助はまたびっくりしたように木を見上げましたが今度は三郎は木の上にはいませんでした。 けれども木の向こう側に三郎のねずみいろのひじも見えていましたし、くつくつ笑う声もしましたから、耕助はもうすっかりおこってしまいました。﹁わあい又三郎、まだひとさ水掛げだな。﹂﹁風が吹いたんだい。﹂ みんなはどっと笑いました。﹁わあい又三郎、うなそごで木ゆすったけあなあ。﹂ みんなはどっとまた笑いました。 すると耕助はうらめしそうにしばらくだまって三郎の顔を見ながら、﹁うあい又三郎、汝うななどあ世界になくてもいいなあ。﹂ すると三郎はずるそうに笑いました。﹁やあ耕助君、失敬したねえ。﹂ 耕助は何かもっと別のことを言おうと思いましたが、あんまりおこってしまって考え出すことができませんでしたのでまた同じように叫びました。﹁うあい、うあいだ、又三郎、うなみだいな風かぜなど世界じゅうになくてもいいなあ、うわあい。﹂﹁失敬したよ、だってあんまりきみもぼくへ意地悪をするもんだから。﹂三郎は少し目をパチパチさせて気の毒そうに言いました。けれども耕助のいかりはなかなか解けませんでした。そして三度同じことをくりかえしたのです。﹁うわい又三郎、風などあ世界じゅうになくてもいいな、うわい。﹂ すると三郎は少しおもしろくなったようでまたくつくつ笑いだしてたずねました。﹁風が世界じゅうになくってもいいってどういうんだい。いいと箇条をたてていってごらん。そら。﹂三郎は先生みたいな顔つきをして指を一本だしました。 耕助は試験のようだし、つまらないことになったと思ってたいへんくやしかったのですが、しかたなくしばらく考えてから言いました。﹁汝うななど悪わる戯さばりさな、傘かさぶっこわしたり。﹂﹁それからそれから。﹂三郎はおもしろそうに一足進んで言いました。﹁それがら木折ったり転覆したりさな。﹂﹁それから、それからどうだい。﹂﹁家もぶっこわさな。﹂﹁それから。それから、あとはどうだい。﹂﹁あかしも消さな。﹂﹁それからあとは? それからあとは? どうだい。﹂﹁シャップもとばさな。﹂﹁それから? それからあとは? あとはどうだい。﹂﹁笠かさもとばさな。﹂﹁それからそれから。﹂﹁それがら、ラ、ラ、電信ばしらも倒さな。﹂﹁それから? それから? それから?﹂﹁それがら屋根もとばさな。﹂﹁アアハハハ、屋根は家のうちだい。どうだいまだあるかい。それから、それから?﹂﹁それだがら、ララ、それだからランプも消さな。﹂﹁アアハハハハ、ランプはあかしのうちだい。けれどそれだけかい。え、おい。それから? それからそれから。﹂ 耕助はつまってしまいました。たいていもう言ってしまったのですから、いくら考えてももうできませんでした。 三郎はいよいよおもしろそうに指を一本立てながら、﹁それから? それから? ええ? それから?﹂と言うのでした。 耕助は顔を赤くしてしばらく考えてからやっと答えました。﹁風車もぶっこわさな。﹂ すると三郎はこんどこそはまるで飛び上がって笑ってしまいました。みんなも笑いました。笑って笑って笑いました。 三郎はやっと笑うのをやめて言いました。﹁そらごらん、とうとう風車などを言っちゃったろう。風車なら風を悪く思っちゃいないんだよ。もちろん時々こわすこともあるけれども回してやる時のほうがずっと多いんだ。風車ならちっとも風を悪く思っていないんだ。それに第一お前のさっきからの数えようはあんまりおかしいや。ララ、ララ、ばかり言ったんだろう。おしまいにとうとう風車なんか数えちゃった。ああおかしい。﹂ 三郎はまた涙の出るほど笑いました。 耕助もさっきからあんまり困ったためにおこっていたのもだんだん忘れて来ました。そしてつい三郎といっしょに笑い出してしまったのです。すると三郎もすっかりきげんを直して、﹁耕助君、いたずらをして済まなかったよ。﹂と言いました。﹁さあそれであ行ぐべな。﹂と一郎は言いながら三郎にぶどうを五ふさばかりくれました。 三郎は白い栗くりをみんなに二つずつ分けました。そしてみんなは下のみちまでいっしょにおりて、あとはめいめいのうちへ帰ったのです。