春と修羅(一部)
- 宮沢賢治
 - 底本:ちくま文庫「宮沢賢治全集1」
 - (平成二二年五月一二日(水) 午後一時四四分三五秒 更新)
 
青森挽歌
こんなやみよののはらのなかをゆくときは客車のまどはみんな水族館の窓になる   ︵乾いたでんしんばしらの列が    せはしく遷つてゐるらしい    きしやは銀河系の玲れい瓏ろうレンズ    巨きな水素のりんごのなかをかけてゐる︶りんごのなかをはしつてゐるけれどもここはいつたいどこの停車場ばだ枕木を焼いてこさへた柵が立ち   ︵八月の よるのしじまの 寒アガ天ア凝ゼ膠ル︶支手のあるいちれつの柱はなつかしい陰影だけでできてゐる黄いろなラムプがふたつ点つきせいたかくあをじろい駅長の真鍮棒もみえなければじつは駅長のかげもないのだ   ︵その大学の昆虫学の助手は    こんな車室いつぱいの液体のなかで    油のない赤髪けをもじやもじやして    かばんにもたれて睡つてゐる︶わたくしの汽車は北へ走つてゐるはずなのにここではみなみへかけてゐる焼杭の柵はあちこち倒れはるかに黄いろの地平線それはビーアの澱おりをよどませあやしいよるの 陽炎とさびしい心意の明滅にまぎれ水いろ川の水いろ駅  ︵おそろしいあの水いろの空虚なのだ︶汽車の逆行は希きき求うの同時な相反性こんなさびしい幻想からわたくしははやく浮びあがらなければならないそこらは青い孔雀のはねでいつぱい真鍮の睡さうな脂肪酸にみち車室の五つの電燈はいよいよつめたく液化され  ︵考へださなければならないことを   わたくしはいたみやつかれから   なるべくおもひださうとしない︶今日のひるすぎならけはしく光る雲のしたでまつたくおれたちはあの重い赤いポムプをばかのやうに引つぱつたりついたりしたおれはその黄いろな服を着た隊長だだから睡いのはしかたない  ︵おゝおオーま ヅへウ せアイはリーしガいーみ ちゲづゼれルよレ   どうかここから急いで去らアイなレドいツホで ニくヒトれ フオン デヤ ステルレ  ︽尋常一年生 ドイツの尋常一年生︾   いきなりそんな悪い叫びを   投げつけるのはいつたいたれだ   けれども尋常一年生だ   夜中を過ぎたいまごろに   こんなにぱつちり眼をあくのは   ドイツの尋常一年生だ︶あいつはこんなさびしい停車場をたつたひとりで通つていつたらうかどこへ行くともわからないその方向をどの種類の世界へはひるともしれないそのみちをたつたひとりでさびしくあるいて行つたらうか ︵草や沼やです  一本の木もです︶ ︽ギルちやんまつさをになつてすわつてゐたよ︾ ︽こおんなにして眼は大きくあいてたけど  ぼくたちのことはまるでみえないやうだつたよ︾ ︽ナーガラがね 眼をじつとこんなに赤くして  だんだん環わをちひさくしたよ こんなに︾ ︽し 環をお切り そら 手を出して︾ ︽ギルちやん青くてすきとほるやうだつたよ︾ ︽鳥がね たくさんたねまきのときのやうに  ばあつと空を通つたの  でもギルちやんだまつてゐたよ︾ ︽お日さまあんまり変に飴いろだつたわねえ︾ ︽ギルちやんちつともぼくたちのことみないんだもの  ぼくほんたうにつらかつた︾ ︽さつきおもだかのとこであんまりはしやいでたねえ︾ ︽どうしてギルちやんぼくたちのことみなかつたらう  忘れたらうかあんなにいつしよにあそんだのに︾かんがへださなければならないことはどうしてもかんがへださなければならないとし子はみんなが死ぬとなづけるそのやりかたを通つて行きそれからさきどこへ行つたかわからないそれはおれたちの空間の方向ではかられない感ぜられない方向を感じようとするときはたれだつてみんなぐるぐるする ︽耳ごうど鳴つてさつぱり聞けなぐなつたんちやい︾さう甘えるやうに言つてからたしかにあいつはじぶんのまはりの眼にははつきりみえてゐるなつかしいひとたちの声をきかなかつたにはかに呼吸がとまり脈がうたなくなりそれからわたくしがはしつて行つたときあのきれいな眼がなにかを索めるやうに空しくうごいてゐたそれはもうわたくしたちの空間を二度と見なかつたそれからあとであいつはなにを感じたらうそれはまだおれたちの世界の幻視をみおれたちのせかいの幻聴をきいたらうわたくしがその耳もとで遠いところから声をとつてきてそらや愛やりんごや風 すべての勢力のたのしい根源万象同帰のそのいみじい生物の名をちからいつぱいちからいつぱい叫んだときあいつは二へんうなづくやうに息をした白い尖つたあごや頬がゆすれてちひさいときよくおどけたときにしたやうなあんな偶然な顔つきにみえたけれどもたしかにうなづいた   ︽ヘツケル博士!    わたくしがそのありがたい証明の    任にあたつてもよろしうございます︾ 仮かす睡ゐけ硅いさ酸んの雲のなかから凍らすやうなあんな卑怯な叫び声は…… ︵宗谷海峡を越える晩は  わたくしは夜どほし甲板に立ち  あたまは具へなく陰湿の霧をかぶり  からだはけがれたねがひにみたし  そしてわたくしはほんたうに挑戦しよう︶たしかにあのときはうなづいたのだそしてあんなにつぎのあさまで胸がほとつてゐたくらゐだからわたくしたちが死んだといつて泣いたあととし子はまだまだこの世かいのからだを感じねつやいたみをはなれたほのかなねむりのなかでここでみるやうなゆめをみてゐたかもしれないそしてわたくしはそれらのしづかな夢幻がつぎのせかいへつゞくため明るいいゝ匂のするものだつたことをどんなにねがふかわからないほんたうにその夢の中のひとくさりはかん護とかなしみとにつかれて睡つてゐたおしげ子たちのあけがたのなかにぼんやりとしてはひつてきた︽黄いろな花こ おらもとるべがな︾たしかにとし子はあのあけがたはまだこの世かいのゆめのなかにゐて落葉の風につみかさねられた野はらをひとりあるきながらほかのひとのことのやうにつぶやいてゐたのだそしてそのままさびしい林のなかのいつぴきの鳥になつただらうかI'estudiantina を風にききながら水のながれる暗いはやしのなかをかなしくうたつて飛んで行つたらうかやがてはそこに小さなプロペラのやうに音をたてて飛んできたあたらしいともだちと無心のとりのうたをうたひながらたよりなくさまよつて行つたらうか   わたくしはどうしてもさう思はないなぜ通信が許されないのか許されてゐる そして私のうけとつた通信は母が夏のかん病のよるにゆめみたとおなじだどうしてわたくしはさうなのをさうと思はないのだらうそれらひとのせかいのゆめはうすれあかつきの薔薇いろをそらにかんじあたらしくさはやかな感官をかんじ日光のなかのけむりのやうな羅うすものをかんじかがやいてほのかにわらひながらはなやかな雲やつめたいにほひのあひだを交錯するひかりの棒を過ぎりわれらが上方とよぶその不可思議な方角へそれがそのやうであることにおどろきながら大循環の風よりもさはやかにのぼつて行つたわたくしはその跡をさへたづねることができるそこに碧い寂かな湖水の面をのぞみあまりにもそのたひらかさとかがやきと未知な全反射の方法とさめざめとひかりゆすれる樹の列をただしくうつすことをあやしみやがてはそれがおのづから研かれた天の瑠璃の地面と知つてこゝろわななき紐になつてながれるそらの楽音また瓔珞やあやしいうすものをつけ移らずしかもしづかにゆききする巨きなすあしの生物たち遠いほのかな記憶のなかの花のかをりそれらのなかにしづかに立つたらうかそれともおれたちの声を聴かないのち暗紅色の深くもわるいがらん洞と意識ある蛋白質の砕けるときにあげる声亜硫酸や笑せう気きのにほひこれらをそこに見るならばあいつはその中にまつ青になつて立ち立つてゐるともよろめいてゐるともわからず頬に手をあててゆめそのもののやうに立ち︵わたくしがいまごろこんなものを感ずることがいつたいほんたうのことだらうかわたくしといふものがこんなものをみることがいつたいありうることだらうかそしてほんたうにみてゐるのだ︶と斯ういつてひとりなげくかもしれない……わたくしのこんなさびしい考はみんなよるのためにできるのだ夜があけて海岸へかかるならそして波がきらきら光るならなにもかもみんないいかもしれないけれどもとし子の死んだことならばいまわたくしがそれを夢でないと考へてあたらしくぎくつとしなければならないほどのあんまりひどいげんじつなのだ感ずることのあまり新鮮にすぎるときそれをがいねん化することはきちがひにならないための生物体の一つの自衛作用だけれどもいつでもまもつてばかりゐてはいけないほんたうにあいつはここの感官をうしなつたのちあらたにどんなからだを得どんな感官をかんじただらうなんべんこれをかんがへたことかむかしからの多数の実験から倶舎がさつきのやうに云ふのだ二度とこれをくり返してはいけないおもては軟なん玉ぎよくと銀のモナド半月の噴いた瓦斯でいつぱいだ巻けん積せき雲うんのはらわたまで月のあかりはしみわたりそれはあやしい蛍けい光くわ板うばんになつていよいよあやしい苹果の匂を発散しなめらかにつめたい窓硝子さへ越えてくる青森だからといふのではなく大てい月がこんなやうな暁ちかく巻積雲にはひるとき……     ︽おいおい あの顔いろは少し青かつたよ︾だまつてゐろおれのいもうとの死顔がまつ青だらうが黒からうがきさまにどう斯う云はれるかあいつはどこへ堕ちようともう無上道に属してゐる力にみちてそこを進むものはどの空間にでも勇んでとびこんで行くのだぢきもう東の鋼もひかるほんたうにけふの……きのふのひるまならおれたちはあの重い赤いポムプを……     ︽もひとつきかせてあげよう      ね じつさいね      あのときの眼は白かつたよ      すぐ瞑りかねてゐたよ︾まだいつてゐるのかもうぢきよるはあけるのにすべてあるがごとくにありかゞやくごとくにかがやくものおまへの武器やあらゆるものはおまへにくらくおそろしくまことはたのしくあかるいのだ     ︽みんなむかしからのきやうだいなのだから      けつしてひとりをいのつてはいけない︾ああ わたくしはけつしてさうしませんでしたあいつがなくなつてからあとのよるひるわたくしはただの一どたりとあいつだけがいいとこに行けばいいとさういのりはしなかつたとおもひます︵一九二三、八、一︶