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山羊の歌(一部)

  • 底本:「中原中也詩集」岩波文庫
  • (平成二二年五月一二日(水) 午後四時五一分三五秒 更新)

盲目の秋

   I

風が立ち、浪が騒ぎ、
  無限の前に腕を振る。

そのかん、小さなくれなゐの花が見えはするが、
  それもやがては潰れてしまふ。

風が立ち、浪が騒ぎ、
  無限のまへに腕を振る。

もう永遠に帰らないことを思つて
  酷白こくはくな嘆息するのも幾たびであらう……

私の青春はもはや堅い血管となり、
  その中を曼珠沙華ひがんばなと夕陽とがゆきすぎる。

それはしづかで、きらびやかで、なみなみとたたへ、
  去りゆく女が最後にくれるゑまひのやうに、
  
おごそかで、ゆたかで、それでゐてわびしく
  異様で、温かで、きらめいて胸に残る……

      あゝ、胸に残る……

風が立ち、浪が騒ぎ、
  無限のまへに腕を振る。

   II

これがどうならうと、あれがどうならうと、
そんなことはどうでもいいのだ。

これがどういふことであらうと、それがどういふことであらうと、
そんなことはなほさらどうだつていいのだ。

人には自恃じじがあればよい!
その余はすべてなるまゝだ……

自恃だ、自恃だ、自恃だ、自恃だ、
ただそれだけが人の行ひを罪としない。

平気で、陽気で、藁束わらたばのやうにしむみりと、
朝霧を煮釜にめて、跳起きられればよい!

   III

私の聖母サンタ・マリヤ
  とにかく私は血を吐いた! ……
おまへが情けをうけてくれないので、
  とにかく私はまゐつてしまつた……

それといふのも私が素直でなかつたからでもあるが、
  それといふのも私に意気地がなかつたからでもあるが、
私がおまへを愛することがごく自然だつたので、
  おまへもわたしを愛してゐたのだが……

おゝ! 私の聖母サンタ・マリヤ
  いまさらどうしやうもないことではあるが、
せめてこれだけ知るがいい――

ごく自然に、だが自然に愛せるといふことは、
  そんなにたびたびあることでなく、
そしてこのことを知ることが、さう誰にでも許されてはゐないのだ。

   IIII

せめて死の時には、
あの女が私の上に胸をひらいてくれるでせうか。
  その時は白粧おしろいをつけてゐてはいや、
  その時は白粧をつけてゐてはいや。

ただ静かにその胸を披いて、
私の眼に輻射してゐて下さい。
  何にも考へてくれてはいや、
  たとへ私のために考へてくれるのでもいや。

ただはららかにはららかに涙を含み、
あたたかく息づいてゐて下さい。
――もしも涙がながれてきたら、

いきなり私の上にうつ俯して、
それで私を殺してしまつてもいい。
すれば私は心地よく、うねうねの暝土よみぢの径を昇りゆく。

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